ギター教室『知也塾』

音楽プロデューサー 倉川知也主宰するギター教室、ベース教室、ボイトレなど総合音楽教室の『知也塾』

【秘蔵】倉川知也、高校二年生時のプロデュース 音源が出てきたw

 

長いこと音楽をやってると
本当に色んな事があるものです。

 

今日は、ワタクシこと倉川知也が
高校二年頃にプロデュースした
秘蔵音源(?)が出て来ましたので
それについて語りたいかなぁと。

 

 

音楽プロデューサーを志す倉川知也の少年時代

 

倉川について
少しでも知ってくれてる方々には
周知の事かと思いますが、

僕が音楽プロデューサーを目指す
キッカケとなったのは小林武史さん。

 

 

小林 武史さんと言うと
ミスチルさんのイメージが強いかもですが、

当時はサザンさんとか桑田佳祐さんの
ソロアルバムとかもやっていた
超売れっ子プロデューサーさんだったんです。

 

 

僕はサザンさんの影響も多分に受けてまして、
昔から聴いていたのですが、
明らかに小林さんが関わった
サザンさんの音源の雰囲気が違うんですよ。

 

 

そこで、気づくわけですね。



「同じアーティストなのに、
 プロデューサーさんで
 作品がこんなにも変わるんだ」


って。 

 

 

そこから倉川少年が

プロデューサー小林武史

追いかけはじめるワケです。

 

 

 

北村和孝との出逢い

 

 

当時僕は
埼玉県立川口高等学校
という高校に通っていて、
楽典(音楽理論)の勉強をしたくて
吹奏楽部に入ってたんですね。

 

 

その中でMARM(まーむ) という
ボーカリストとバンドを始めます。

 

 

で、倉川は当時から変に
意識高い系』の人で相当に傍若無人。


バンドメンバーが

「倉川となんかやってられねー」

みたいな感じで
メンバーが一人抜け二人抜け。。。(苦笑

 

 

そんなんで、MARMしか残らず、
Vocalとギタリスト、という当時では珍しい
ユニット形式で活動してたんです。

 

 

 

ま、B'zさんがようやっと出てきた頃で
3枚目のアルバム、


BREAK THROUGH

出たぐらいだったかなぁ。。。

 

 

で、ボーカルと二人で活動、って言っても
バックの演奏が無いと厳しいので

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YAMAHA さんのV50 という
音源+鍵盤+打ち込み用のシーケンサー
一体化したオールインワンシンセ
親父を口説き落として買ってもらって。

 

 

当時、オールインワンシンセって
ようやっと出てきたぐらいの時代で
今みたいにパソコンで打ち込み、とか
ましてや音の録音なんて夢また夢

 

 

高校生で打ち込みをバックに音楽活動、
とか相当に珍しかったみたいで
文化祭ではお客さんの入りが
メッチャ良かったんですよね(笑

 

 

んで、そのMARMの紹介で出逢うのが
今、雑誌Playerの編集やってる北村 和孝くん。

 

 

 彼は当時から筆の立つ人で、文才があって。

 


彼が寄稿した文集の作品に
すんげー感化されたのを覚えてます。

 

 

そんなキタムラくんが何故か
僕らの音楽活動にとても興味を持ってくれて。

 

 

当時、彼は放送部なんかもやっていて、
僕の人生初の楽曲作品を
お昼の放送で流してくれたりして(笑

 

当時から音楽でバカで目立ってた僕は
運動部系の奴らに睨まれてたんだけど
あの時は相当にヤッカミを受けたなぁ。。。

 

 

 あ、そうそう。

その時はDAWどころか
ハードディスクMTRも無いからね!

 

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 YAMAHA CMX100 Ⅲ

 

 このようなアナログカセット4トラックMTRで録ってました(苦笑
※ちなみにこんなんでも当時6万円ぐらいしたんですよ。
 何か月バイトして買ったんだったけな...
 高校生の僕にはマジで高価なものでした...

 

 

倉川知也、人生初のアーティストプロデュース

 

 

んで、そんなこんなで
北村くんと交流が始まって。

 

 

で、ある日相談を受けるんですよ。

 

 

話を聞いてみると、彼は
メロディーと歌詞と簡単なコード、
ぐらいまでは作れるんだけど、

ドラムとかベースとかギターとか、
アレンジして作品化出来ないって言うんですね。

 

 

で、彼には何かとお世話になって居たので
お手伝いを始めるわけなんです。

 

 

実は、これが僕の人生初の
音楽プロデュースになるワケですねw
(って、前振りが長すぎ?w)

 

 

で、彼がTOKYO NOISEという
アーティスト名でアルバムを作りたい、
って言い出すわけなのですよw

 

 

その中の1曲がこれ。

 

http://rhythmagic.tumblr.com/post/80577626198/go-jam

rhythmagic.tumblr.com

 

 なつい!!!(笑

 

 

てかキタムラ、
デジタル化する際に若干音割れてっぞ!(笑

 

 

しっかし。。。この曲もそうだったし、
当時、ホントに彼とはケンカしました。。。 

 

 

おかげで何年も逢わない時期もありました。。。(遠い目

 

 

ま、何でも時間が解決してくれるもので、
最近ではかなり仲良くしていますがw

 

 

それはさておき、この音源。

 

思った以上に良く録れてて
実は結構ビックリなんです。

 

 

北村くんも、かねてから

「当時、埼玉県南の高校生で
 あのレベルでやってる人は
 相当に希少だったと思うよ」


なんて評価してくれてて。

 

 

なんかその理由が
歳を経て聴きなおして納得。

 

 

確かに今だったら大したことないけど、
当時、たった4トラックしか録れないから、
何度も何度もピンポン録音(ダビング)して...。

 

 

各トラックに、コンプレッサーはおろか
イコライザーも無いし...。

 

 

エレキギター録るにも
当然、パソコンで出来ないので
ギターアンプモデリングした
プラグインなんか無いし、PODさえもないw

 


さらには
当時の家庭用ギターアンプって
ホントにいい音しない。

 

 

確か、ラインで録る時に
BOSSコンパクトエフェクタとかの
トーンとか駆使して
ギターアンプの音に近づけてたよなぁ。。。(遠い目

 

 

そう考えると今は
パソコンあればプロに引けを取らない
環境で音楽づくりが出来る。

 

 

ホント、とってもいい時代ですよねー。

 

 

ま、でもこのローテク時代の経験が無かったら
今こうやって音楽で仕事出来てないだろうし。

 


あの時代を体験出来て本当によかったなぁと。

 

 

そして、そういうキッカケをくれた
北村くんにも感謝、感謝なのであります。

 

 

ま、長くなりましたが、
僕の人生初プロデュースアーティストさんは
北村くん、ということを
言いたかっただけなのですが(笑
(その割に長文になり過ぎた...orz)

 

 

そして彼とは個々に別々に
音楽活動を続けていって、
彼は雑誌Playerで編集者を。



僕はアーティストとしてだけではなく
インディーズレーベルを主宰。

音楽プロデューサーとして
キャリアをスタートさせるわけなんですね。

 

 

当時、めちゃめちゃケンカして
相当にストレスだったけど、
彼との音楽制作は本当に楽しかった。

 

 

また一緒にやれたらいいなぁ。

 

 

なんて最近考えてたりします(笑

 

 

 

 

 

 

 

1000円からのギター教室知也塾 主宰

音楽プロデューサー 倉川知也

 

 

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